石井成兒デジタル美術館

石井成兒についてAbout

石井成兒の生涯と実績、画家としての活動を紹介するページです。

石井成兒没後、美術館としての活動も掲載しています。

石井 成兒(いしい せいじ)

教師、洋画家、水墨画家
1922年千葉県市原市生まれ、1993年没(享年72歳)
千葉県師範学校(現・千葉大学教育学部)卒業
東京美術学校(現・国立東京藝術大学)修了
千葉県水墨会初代会長

石井成兒

水墨画との出会い

日本には水墨画という素晴らしい芸術があるのに
なぜ君たちは油絵を学ぶのか―。

パブロ・ピカソが師である峰岸魏山人に疑問を投げかけた言葉に、石井成兒は墨の表情豊かな魅力と美しさに心奪われ、順調だった洋画家から水墨画家へ転身。
豊かな想像力と美しい墨色、色彩で独自の画境を切り開きました。
石井作品の特徴である朱色は、世界的な版画家である棟方志功から「石井成兒の朱(あか)」と呼ばれ、好まれました。
石井成兒は水墨画家として数多くの作品を生み、水墨画の普及に尽くし、石井成兒没後も美術館としてその遺志を継ぎ活動を行っています。

石井成兒の作画理念

絵を描くことは描き手の人間性が現れる。
濁った墨の色や観る人を意識して描いた絵は汚れた心から生じる。
自然でも人でも対象物でもすべての物象に対する心愛で人間性は見える。
自然や故郷を愛し、敬虔な心を育てることが豊かな想像力を生む。
心の充実と共に作品も充実してゆく。

壁に突き当たった時には「元一に還れ」。

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石井成兒の生涯と実績

1922年(大正11年)

5月25日誕生(千葉県市原市八幡にて)

1943年

千葉県師範学校(現・千葉大学教育学部)卒業

1945年

陸軍士官学校を経て陸軍近衛連隊入隊

終戦により除隊、千葉経済高校(現・千葉経済大学附属高校)の教師となる

1947年

千葉県教員派遣留学生として東京美術学校洋画科(現・国立東京藝術大学美術学部絵画科洋画専攻)修了

洋画家として活動開始

1949年

洋画家の寺内萬治郎に師事していたきっかけで、光風会(日展系、旧・帝展)に出品し入選

1950年

二紀展(二紀会主催)に出品開始

二紀会理事で師でもある峰岸義一(後に水墨画家として峰岸魏山人と名乗る)から伝えられたパブロ・ピカソの言葉と墨の魅力に引き込まれ、水墨画に関心をもち始める

1954年

師である峰岸魏山人や世界的な版画家の棟方志功らとともに日本水墨派展(日本水墨派協会主催)の設立・開催に関わる

1955年

光風会や二紀展で入賞を重ねた後に安井賞候補に推薦され、その油絵作品が週刊朝日の表紙に掲載される

教師を退き、プロの洋画家として活動していく

1959年

6月12日、同じ千葉経済高校教師の石井佐奈と結婚

1960年

日本水墨派展で大賞・金杯受賞

棟方志功が石井作品の特徴である朱色を「石井成兒の朱(あか)」と呼び、好んだ

その後も毎年開催される日本水墨派展に出展(~1968年、日本橋三越にて)

洋画を中心に水墨画との二刀流で画家活動し、この頃から水墨画教室を運営

1965年

千葉県水墨会を設立

設立前から運営していた水墨画教室を千葉県水墨会の活動として整備

千葉県水墨会展を毎年開催(~1975年、千葉県教育会館や千葉駅ビルなど県内数ヶ所にて)

墨の国展の運営委員として設立に関わる(~1970年、日本橋東急にて)

第1回石井成兒水墨画個展(東京・銀座のサトー画廊にて)

1968年

第2回石井成兒水墨画個展(東京・銀座の東銀画廊にて)

千葉県展の洋画部門で審査委員を務める

1970年

峰岸魏山人と共に国画院の設立に関わる

第1回国画院展を開催、運営委員を務めながら毎年出品(~1983年、上野の森美術館/後に東京都美術館にて)

1974年

千葉県の画家有志で千葉県立美術館の建立に携わる

1975年

襖絵「地獄図」を無量寺(千葉県市原市八幡)に作画し奉納
無量寺は、寶樹坊(672~685)によって創建された浄土宗寺院で石井家の氏寺

1976年

墨の県展(旧・千葉県水墨会展)を設立し、峰岸魏山人を初代会長に迎える

1977年

第1回墨の県展を開催、以後も毎年開催(~現在、千葉県立美術館にて)

自らも墨の県展に出品、水墨画中心に活動していく

1978年

国画院での貢献を認められ、文部大臣賞受賞

1980年

天理美術の天展(道友社主催)に参加(~1993年)

1983年

石井成兒水墨画個展(~1984年、三越画廊にて)

飯香岡八幡宮(千葉県市原市)宮司の所望により、柳楯神事作品をまとめた「市原の柳楯神事絵巻」を奉納

飯香岡八幡宮に奉納した「市原の柳楯神事絵巻」を画集として実業之日本社より刊行

1984年

国画院を退会し、近代水墨会を設立

初代会長として近代水墨展を毎年開催(~1993年、上野の森美術館/1987年以降は東京都美術館にて)

第1回近代水墨展で自らも「燭光」を出品、洋画家の宮本三郎から絶賛され「油絵を描きながらでも水墨画は描けるから」と水墨画への転身を最後まで引き留められた

1985年

墨の県展2代目会長に就任

第1回父娘展(蛙友、千葉三越画廊にて)

1987年

第2回父娘展(よし子・蛙友、千葉三越画廊にて)
石井成兒と次女の蛙友は水墨画を展示、長女のよし子は鷲羽彫り職人として盆用品や手鏡などを出品

1989年

第3回父娘展(よし子・蛙友、千葉三越画廊にて)
石井成兒と次女の蛙友は水墨画を展示、長女のよし子は鷲羽彫り職人として盆用品や手鏡などを出品

1993年(平成5年)

石井成兒水墨画個展(東京・銀座の中央美術画廊にて)

石井成兒水墨画個展(千葉のアルテシモにて)

4月15日死去(享年72歳)

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    週刊朝日の表紙に採用(1955年)
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    千葉県水墨会設立の頃(1965年)
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    柳楯神事作品の「柳楯巡行」(1983年)
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    屏風画「燭光」(1984年)
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    父娘展にて(1989年)
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    妻・佐奈と中国スケッチ旅行(1990年)

注釈・脚注

個展について上記は一部です。

安井賞
日本の美術賞で、新人洋画家の登竜門とされる。

寺内 萬治郎(てらうち まんじろう、1890-1964)
石井成兒が学生時代に師事した教授。大阪府生まれ埼玉県の洋画家で浦和画家の1人。東京美術学校(現・国立東京藝術大学)西洋画科卒業、日展系所属。裸婦図で知られ、帝展(現・日展)で多くの賞を獲得。

峰岸 魏山人(みねぎし ぎさんじん、1900-1985)
石井成兒が師と仰いだ埼玉県生まれの洋画家、水墨画家。水墨画家になるまでは本名の峰岸義一で名乗っていた。日本美術学校卒業。パリで洋画を学んでいた際にパブロ・ピカソから疑問を投げかけられ水墨画の発展を約束。主に後進への教育に力を注ぎ、水墨画の入門本など発刊。

棟方 志功(むなかた しこう、1903-1975)
石井成兒作品の朱色を好んだ青森県出身の版画家。元は洋画家として帝展(現・日展)などに油絵を出品、設立に関わった国画会展で初めて版画作品を出品。その後は版画家として世界的に活動。藍綬褒章、文化勲章受章。

宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905-1974)
石川県生まれの洋画家。二紀会の設立者で初代理事長に就任するなど後進の育成にも尽力。金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)と多摩美術大学の教授も務めた。

河瀬蛙友、父を語る ~駅弁~

まだ新幹線がない頃、東京駅で待ち合わせて父母2人で京都へ行った時のこと。
昼食を済ませた父は、まだ食べていない母の「駅弁を買うけどあなたは?」という問いに「いらない」という。
母は1つだけ駅弁を買って数口か食べた時(母の食べ方は誰が見ても美味しそうに食べる人なのです)、食べたそうに見ている父に「食べる?」と言って渡したところ、全部食べられてしまいました。
母は仕方なく横浜まで待ってシューマイ弁当を買い、何口も食べないうちに「食べる?」と言って差し出すと、これまた全部平らげてしまい。
それから豊橋まで我慢してウナギ弁当を買うと、また平らげられて・・・。
母も「食べる?」なんて聞かなきゃいいのに。
「だって欲しそうな顔して見るんだもの」。
東海道をずっと2人は、いいえ母だけ黒煙を上げながら昼食を食べたんだか、夕食を食べたんだか・・・。
今でも昨日のことのようにこの話をします。
その話し方の可笑しいこと、2人のユーモラスなエピソードです。
父の生前でもこの話をすると2人ともエキサイトして楽しかったです。

石井成兒美術館の主な活動年表

1993年

5月某日石井成兒作品「霊場恐山」を千葉県庁に寄贈

1994年

5月某日第18回墨の県展より石井成兒の水墨画作品を同時展示(毎年約10点ずつ未発表の作品を展示)

1995年

12月15日フランスで石井成兒回顧展(~24日、パリギャラリー天理)

2010年

8月1日石井成兒美術館サイトオープン

2011年

1月20日石井成兒回顧展記念画集「石井成兒 水墨画の世界」発行

1月22日奈良県天理市で没後17年石井成兒回顧展(~27日、ギャラリーおやさと)

5月10日第35回墨の県展で石井成兒の作品屏風5点含む34点を展示(~15日、千葉県立美術館にて)

2019年

5月某日石井成兒作品「鯉のぼり」を熊谷俊人千葉市長(当時)に贈呈

2020年

5月某日石井成兒作品「夕焼け」を熊谷俊人千葉市長(当時)に提供

2022年

5月17日第45回墨の県展特別企画として石井成兒生誕100年記念展を開催、石井成兒の代表作品50点を展示(~22日、千葉県立美術館にて)

6月25日石井成兒の鬼来迎作品をまとめた「鬼来迎画帖」のほか屏風、額装画を広済寺(千葉県山武郡横芝光町虫生)に奉納

6月29日石井成兒の1978年作品「袖ヶ浦の思い出」を神谷俊一千葉市長に贈呈

11月1日石井成兒デジタル美術館としてサイトリニューアル

2023年

1月2日石井成兒の妻・石井佐奈が永眠(享年103歳)

石井成兒美術館発行の画集・冊子

画集「市原の柳楯神事絵巻」

発行日:1983年9月

刊行:実業之日本社

画集「神楽噺子が聞こえる」

発行日:1993年

石井成兒回顧展記念画集「石井成兒1922-1993 水墨画の世界」

発行者:石井佐奈

発行日:2011年1月

体裁:A4判、78ページ(全カラー)

掲載作品:78点

印刷・製本:株式会社みつわ

ご希望の方には有償にてお譲りしますが、在庫数に限りがありますのでまずはお問い合わせください。

石井成兒生誕100年記念冊子「石井成兒の世界」(第45回墨の県展特別企画)

発行者:石井成兒美術館

発行日:2022年5月

体裁:A4判、27ページ(全カラー)

掲載作品:19点

印刷・製本:株式会社みつわ

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石井成兒の水墨画作品や作品の提供・実績については、別ページで紹介しています。

妻・石井佐奈について

2023年1月2日、石井成兒の妻・石井佐奈が享年103歳にて永眠いたしました。
故人に代わりまして、ここに生前賜りましたご厚情に深く御礼申し上げます。

戦争未亡人だった石井佐奈は、2児を育てながら千葉経済高校(現・千葉経済大学附属高校)の教師を務め、終戦による除隊で赴任してきた石井成兒と出会いました。
再婚を機に教師退任後はオーダーメイドを手がける「アルス洋裁店」を開業し、画家になった夫を支えてきました。
石井成兒の死後、千葉県水墨会2代目会長と墨の県展3代目会長として18年間当会発展のため尽力しました。
会長を退いた後も水墨画を描き続け、100歳で絶筆しました。

このたびの逝去を悼み、石井佐奈が生前に作画した水墨画作品の一部を掲載しました。
2023年 第46回墨の県展でも別作品を展示する予定ですので、ぜひ千葉県立美術館へ実画を観にお越しください。

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